玉縄の風 その1〈栄光ヒュッテ有志キャンプ・熊さん〉

「この風を感じて欲しいんすよ」


2025年9月初旬。丹沢の栄光ヒュッテにて、2泊3日の有志キャンプが行われた。


栄光学園の卒業生らが作り上げたこの山小屋は、近年、有志企画のキャンプで使われることが多い。山小屋の宿泊やキャンプにあたり、率先して企画・引率を引き受けている教員がいる。通称“熊さん”。山小屋の運営のいろは、ソロキャンプの諸知識はもちろんのこと、山小屋におけるレクリエーション、「青春クリエイト」にも意欲を燃やしている。どうして、栄光ヒュッテ宿泊のような、タフな活動にいそしんでいるのだろうか。

 


 「携帯やゲームやテレビや、そうした便利なものが何もないところで、何か見つけて欲しいんすよね」と熊さんは語る。山小屋には、便利なものは何もない。夏には、蛭をはじめとした怖い虫がいるし、トイレだって「おが屑トイレ」(水洗ではないトイレ)だ。キャンプに参加する生徒でさえ、こうした不便さに抵抗を示す生徒はいる。それでも、来てみる、また来てしまう。それを乗り越えてはじけ飛ぶような喜びが、山小屋にあるのだろう。


 昼食を終えるや否や、小屋には誰もいない。ヒュッテの向いにある小川で泳ぐ、魚をつる、潜る、石で堤防をつくる、上流へ向かう。水着や水中用のサンダルを持参していない学生たちも、我慢できなくなってくる。水に飛び込む。みんなを追って、裸足で小石を踏みつけては上流へと進んでゆく。「そんな痛いことしてまで、おバカだな」などと感心していた私も、傍観者ではいられないようだ。水着を忘れた生徒が、服のまま(ジーパンで!)滝修行をはじめたのをきっかけに、そこにいた全員が結局、水につかることとなった。全身で自然と戯れる友達を前にして、一人一人が自分を解放するかのように、目の前の瞬間に没頭し、熱中していた。


 魚をとったら、さばいて、火で焼いて、その場で食べる。さばき方を知っている先輩が、鱗やら内臓やらの取り方を後輩に教えている。学校内では知らない一人一人の一面が、そこら中に散らばっている。夜は焚火台をつくって、火をおこし、飯盒を楽しむ。熊さんから学んだコツを生かしながら、生徒たちは火を強めたり、弱めたり。薪の組み方の工夫で、自在に火力を調整できる生徒もいる。熊さんの言う通り、特別何もなくても、火の近くには「人が寄ってくる」。本物の火は見ているだけで楽しく、体の奥側からあたたまるような気持ちになる。どこを見ても、「何もないところ」を満喫している若者で溢れていた。


 山の夜は、暗い。火や懐中電灯のないところでは、何も見えない。本当の夜の暗闇。それは当たり前だけれど、都会生活では忘れがちなこと。小屋から少し離れているトイレに行くのですら、「怖いから、連れしょんします」。懐中電灯の電池が切れてしまった生徒からは、日常、「夜でも明るいことの凄さを実感し」たというコメントもあった。自然の根源的な現象を知り、それに感謝できる。日常の当たり前に驚くことができる。こうした感性を思い出すことは、すべての学びの根っこではないか。当たり前に使っている電灯のありがたみを感じるからこそ、「人工で光を発明したこと」のすごさを感じ取り、さらに興味をもち、学ぶ意欲が湧くのだろうし、「夜が怖い」という感覚を思い出したからこそ、昔の人々の生活が想像でき、そうした感覚から生まれる風習や伝統、信仰のようなものまで考えるきっかけが生まれるのだろう。「夜が夜であること」に驚くことのできる贅沢が、ここにはある。


 今回の宿泊における「熊さん青春クリエイト」は「うどんづくり」だった。昼食のうどんづくりを、各班ごとに、一からはじめる。「どうやったらおいしくなるか、研究したんすよ」。準備万端である。ひたすらに生地を「踏む」こと、これである。こねおわって生地を寝かしつけてから、ふみふみ大会が行われた。全身で一から作ったものを食べる経験、それをチームで分かち合う経験ができたと同時に、日々当たり前に食べる「麺の切れない長いうどん」というのが当たり前でないことも実感したのだった。


山小屋では、チームでまとまって、機敏に動くことも求められる。一人が自分勝手をすると、すぐに目にとまってしまう。何もかもそろっているわけではない、運営のノウハウも乏しい、そんな環境において、団体行動のまとまりを欠けば、準備や仕事は全くはかどらず、楽しい時間ばかり削られていく。掃除に布団干し食事作り、そして片付け。そうした何気ない一つ一つにおいても、熊さんが生徒に気づいてほしいことはたくさんあるようだ。

うどんを食べ終えた生徒たちは、山に昆虫を探しに、あるいは川遊びに、それぞれの望むまま散っていった。小屋の前のテーブルには熊さんの他、誰もいない。一通りの仕事を終えた熊さんが、一息いれているのか、珈琲を呑んでいる。少し暑くなってきたが、川のせせらぐ音が涼しい。ふっと風が吹くと、樹々のそよぐ音まで心地よい、森の昼下がり。「この風を感じて欲しんすよ。」熊さんはつぶやく。彼らが、たしかに何かを感じて帰ってくれた、そう信じている。