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1985年は私が大学を卒業し、教員として栄光に戻った年でした。
当時は、夏休みに入るとすぐ中1と中2で海のキャンプ(三浦、諸磯)・高1で山のキャンプ(栄光ヒュッテ)があり、39期や36期の皆さんとキャンプで一緒に過ごし、ベテランの先生方に沢山のことを教わりました。教員としての初めての夏休みのよい思い出です。
そしてキャンプも終わった「全校行事なし」の8月12日の夕方、29期の仲間と大船で集まって就職先の話や大学・大学院の話で盛り上がったことをよく覚えています。日航ジャンボ機のニュースを知ったのは帰宅後でした。
5年前に亡くなった私の父は、当時テレビ局で仕事をしていました。48歳で現場を離れていた彼でしたが、事故の取材に何の準備もなく局からヘリで向かい、道なき道を登山し、辿り着いた凄惨な現場で生存者確認の一報を伝えることになりました。ネットも携帯もない時代でした。
帰宅後も当時のことをほとんど語らない父でしたが、元気な間は毎年、夏になると御巣鷹の峰へお参りに行きました。私も一緒に事故現場を訪ねたことがあります。そこで感じたのは、何とも言えない冷ややかな重い空気でした。520人とその死を悼む人々の「いのちへの思い」があるのだと思います。
事故でお亡くなりになった皆さんとご家族の魂の安らぎのために祈ります。
そして、今を生きる皆さんがこの夏を安全に過ごせますように!