先日、保護者の方が若い時分に読まれただろう『聖書』を見せていただく機会がありました。
その『聖書』を開くと、重要ないくつかの箇所に、とても丁寧に線が引かれていました。
その方はおそらく、それらの言葉を大切にして、日常を丁寧に生活していたのだろうと思わされました。
私もふと、自分が高校から大学にかけて書き込みをしながら読んだ『マルコによる福音書』を久しぶりに開いてみました。
私はいいかげんな性格なので乱暴に線が引いてありましたが、「今こそ大切だな」と、思わせられる箇所に赤線を見つけることができました。
左側が高校時代に読んだフランシスコ会訳の『聖書』で、右は今生徒たちと読んでいる聖書協会共同訳の『聖書』です。
今の『聖書』では「イエス」というお名前ですが、古い方では「イエズス」になっているのが懐かしいです。
迷ってばかりいた高校の頃の自分を、あらためて褒めてあげよう、と思いました。
(注)当記事のタイトルは他の翻訳を参考にしたもので、写真の『聖書』本文とは少し違っています。